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親戚の家と祖母ちゃんとこと勝石






4月19日





昼過ぎから母を乗せて

近所のお花屋さんでお仏壇に飾る用のお花を購入



たぶん祖父ちゃんの妹にあたる親戚の家の

息子さんの1回忌とか

なんかそんなのの お花

お花だけでは悪いので そのまま駅前に移動し

部西で1回忌のお供え物などを物色しに行く



そういえば

ここのトカー立体パーク

取り壊されてビジネスホテルかなんかになるらしいな

受付のおっちゃんが気さくな人で好きだったけど






ということで

親戚の家に到着

そこの亡くなった息子の人に俺は面識も付き合いも何もなくてアレだけど

死因は腎臓が悪くて腎臓移植を行ったが

その2年後くらいに腎臓が細菌感染してから1週間も持たずに亡くなったとか

54歳か56歳で独身者だったが最後まで両親に優しく接した人だったらしい

俺は今のところ無職なだけでどこも調子悪くないが

病を抱えながら両親を世話するなんて立派な人だったんだな

ということで

仏前でシッカリと手を合わせた

ということなんだけど

そもそも

独身であるからこそ年老いた両親の面倒を細かく見れるんだよな

もしも自分の家族が居て子供が居たら

それこそ子供最優先で両親の面倒なんかなかなか見てやれないだろうな

ということで

2時間近く居たかな

両親さんは年も年だし車もないしで

そこにきて自分たちより早く息子さんが死んでしまって

毎日寂しくて寂しくて誰でもいいから話し相手が欲しいみたいで

後にも用事があるんだけど

次から次へと話の引き出しを開けてきて

なかなか帰ると言い辛いアレだったな








祖母ちゃんのケアホームに到着



前回は1月の後半に来たんだっけな

まだ学校に行っとるのけ?

とか

正月はまだけ? ( たぶん4回くらい正月まだけ?を繰り返した )

とか

けっこう痴呆がきていた

それでも帰り際には

俺を拝んで 38がきてくれたのが一番嬉しかった と涙を流しながら言うので

その手を握って また来るから つって俺も目に涙を溜めた

その後、祖母ちゃんはA型インフルエンザに罹患し

もう駄目かもと思っていたが持ち直し

そろそろ行ってあげないとと思いつつもアホの親父の面倒見で行けず

今日やっと母と共に再訪する事が出来た

ということで

祖母ちゃんの相部屋に入ると祖母ちゃんはスヤスヤ寝ていた

母が少し覚悟をしたような表情で祖母ちゃんを揺すって起こすと

祖母ちゃんは最初ぽけーとした顔で微睡んでいたが

おお、母と38け? つってニコッと笑った

少し安心した

まだ俺らの顔を分かるし

末期の痴呆症だと無表情になってしまって笑顔なんか見せてくれないからな

ということで

部西で購入しといたカニのお寿司とか色々と食べさした

やはり最後のお別れの場面では

祖母ちゃんは目に涙を溜めながら俺と母を拝みつつ

ありがとな~ ありがとな~ うれしかった~

つうので

俺はその手を握り肩を摩りながら

祖母ちゃん、あとたった6年で100歳だぞ

長生きしたら何度でも会えるぞ? な?

つったら

そうけ~ そうけ~

つって俺の手を両手でぎゅっと握るものだから

やっぱり俺も鼻水垂らして涙した

俺は最近、人間というものの哀しさというか虚しさというか

そういうものを感じる機会が多い

きっと天国もないし地獄もない

記憶も意識も繋げない完全の無に消える

生きてるってなんだろ? 生きてるってなあに?

若いうちはいいんだけどさ

老いて朽ちていく体を引き摺ってまで生きていく価値はなあに?

金をもっていようがなかろうが大家族であろうがなかろうが

死にハッピーエンドなんてあり得ないやろ

独りで死ぬのも孤独なんだろうし

家族を残していくのも心配でたまらんだろうし

うーん

と、考えザルを得ない








ということで

その日の夜

初めて母を勝石に連れて行った 花壇を押し気味に停めてしまった



母は親子丼セット 俺は久しぶりに玉子カツ丼セット

ということで

母はセットの蕎麦を半分と親子丼の3分の1くらいを俺に譲る

俺はもう腹がパンパンやぞ

母には少し量が多過ぎたかも知れんな

お会計の時に勝石主人から お母さんですか? と聞かれる

うん、そうです

つってお会計を済ませて立ち去り際

後方から

どうもありがとうございました~

と、いつもとは少し違う恐縮した声のように聞こえた

後で考えたけど

俺はけっこう長く勝石に通ってきて

今回が初めての母との来店であるからして

店の主人からしたら

なんかアレかも知れないな

常連の人が自分の親を連れてきたら

味を認められたというか

いや、そんなの最初から認めているけど

なんかそういうので嬉しいものなのかも知れないな。








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再入院






4月12日

朝に親父が赤日病院へ定期受診に行った

内視鏡検査をするらしく麻酔を受けるのでタクシーで向かった

結果は悪化しているような動脈瘤は見受けられず

また5月に定期受診して下さいとのことで

親父は順調に回復していると思って上機嫌で帰ってきた



アホだなあと思った

ほぼ1日中パソコン見てて

それ以外はベッドで横になってて

家事など一切せず

近所を散歩するような事もせず

体を動かしていないのに小食にもならず

朝昼晩とメシは不通に食う

回復してる訳がねえだろ

前回の入院は脂肪肝による静脈瘤破裂だったが

今の生活を送っていたら肝臓の脂肪なんか更に増えている筈

どうせ早ければ1年後 遅ければ2年後くらいに必ず病院送りになるぞ

とにかく

先に治さないと駄目なのは

親父の人格だ

自己愛性人格障害を先に治さないと今までと生活態度も変わらないし

必ず近い将来に病院送りになるぞ

そう母にも伝えておいたんだが

人格障害なんか家族でどうする事も出来ないし

とにかく騙し騙し母と俺は親父のアホさに我慢して生活して

俺は母の心だけは支える為に とにかく母に優しい38になろうと努めていた




そうして

定期受診受けて帰ってきたその日の夜

午後10時30分頃

風呂から上がった親父が慌ただしく便所に駆け込む物音が聞こえた

なにやらハアハア言いながら息も絶え絶えにという感じだった

どうせ内視鏡飲むときに消泡剤?なんかそんなのを飲まされるらしいから

今更ゲロでも吐いたんかな?

それか風呂で血圧上がってまた血管破裂して吐血してるか

しかしながら今日に定期受診受けてきたばかりだから破裂はないか?

それでも吐血したとして
 
まさかまたしても吐血した事を家族に隠す事はないだろう

ということで

まあ、べつに、親父の事を心配したり同情したりする心はもう俺にはないから

どうでもいいか

と、布団を被って寝ようとしたが

寝る前に小便をもよおしトイレに入ると

便器の奥のほうの水が少し赤茶色っぽい

やっぱり吐血したかな? それとも血便か?

うーん

まあ、いいか

明日、起床したら母に親父がまた血便かなんか出たみたいだから

今日中に病院行っとけと伝えといてもらうか

ということで寝た







4月13日

午前8時30分頃に母に起こされる

親父が朝から調子が悪いと言って赤日病院にタクシーで向かったんだけど

担当の看護士さんから連絡があり

輸血と手術が必要なので書類にサインが欲しいと連絡があったとのこと

俺は溜息が出た

やっぱり前日の夜に吐血してたんだな



またしても母に内緒で病院送りになってから担当の医師にだけ吐血の事実を言う

そういう事をされるとだな

必要以上に母に心労がかかるし

家族が病院に到着して

何時頃に吐血しましたか?

なんて聞かれると

よく分かりませんと答えるしかなくなるんだよ

病院の担当者から見れば

家族が吐血して苦しんでいたのにそれも分からない?

なんて情のない酷い家族だろうと思われるだろ

俺には親父に対する情や同情心なんか今までの事で無いに等しいけど

母はまた別だからな

母はやはり女性であるからあんなゴミのような親父でも可哀想に思う心と

親父を対象にしても捨てきれない母性本能みたいなモノがあるように思う

そういうことで

またしても親父は母の心を裏切り深く傷つけた

今回はもう大人しく死んでくれないかな

本気でそう思った






親父が前回退院したのって2月の終り頃だったっけ?

すぐ2か月ほどしてまた赤日病院だよ ほんと馬鹿らしい





はい前回と同じ病名

 



そして前回と同じ階で前回の病室の隣の部屋 

 




前回と違うのはお山の景色が美しくなった事くらいかな










ということで

午前10時過ぎから夕方の午後5時過ぎまで7時間病院に拘束された

ほんと待ち疲れになった

母なんか心労もあるし坐骨神経痛で長い距離歩くと負担がかかるのに

広い病院内をあっち行ったりこっち行ったり

可哀想過ぎて見てられない

また母は今回の事で心労が祟って大きく老け込むだろうな

もう親父に対する嫌悪感が強くなり過ぎて

病院のベッドで横になっている親父の顔すら直視するのが辛い
 
ただ

ひとつだけ幸いにも

また親父が入院して家庭に不在になるから

アホ親父に気を使う時間がなくなる

つまり母と二人で過ごす時間が増えて なんでも細かく手助けしてあげられる機会が増える

親父が不在の間に庭に腰掛ける椅子を作ってあげよう

花鉢を置ける棚なんかも作ってあげよう

切れない包丁の刃も研いであげよう

日帰りだけど温泉にも連れて行こう

気温も上がってきたし色んな場所に連れて行ってあげよう

今まで親父が母に対してしてあげなかった事を

出来る限り俺がやってあげよう

ということで

前回実家から持ち帰ったこの包丁を
 


耐水サンドペーパーで錆びを落として

病院帰りに寄ったキシヤマで購入した砥石で研いだ



研ぎなんか素人だけど

剃刀の刃のように鋭くなった

トマトなんかもすぱすぱ切れる

切れにくい包丁でまな板に押し付けて切っていたら腰に悪いからな

これで少しは負担も軽くなる筈

まだまだ可哀想な母に対してしてあげられる事は多い

母はあと何年生きてくれるだろう

今しかないよな

まだ少しでも自力で歩ける間に

なんでもしてあげられたらなあと思う。









23℃ほど







4月7日

母のカエルは萎んだけど





お庭にカエルがいた





ミツカッテシマッタ........





トビオリルニハ タカイ........











4月8日

プラトン3まで母を連れて買い物へ行く途中

車中から桜を眺める

 

今年は一気に満開になったな

1月ほど前の開花予想では4月8日頃つってたけど

バッチリ的中したじゃないか



そしてから

今日は長袖Tに長袖シャツを重ね着していたが

腕まくりしても汗ばむくらいに暑い

車外気温計を見ると25℃になっている

プラトン3から出てきて車内に戻ると くそ暑い

車外気温計は30℃となっていた

春がきましたな

シロクン、春だよ 春が来たよ

まだすぐ先に梅雨という鬱陶しいモノがあるけれど

暖かいのは好い事だ








買い物から帰ってきたら

またカエルいた 日向ぼっこしているようだ



サイズ的に昨日のカエルと同じカエルだ

こんな場所でケロケロ鳴いてても

メスと巡り合えないだろ?



沢山の仲間たちがいる田んぼとかに連れてってやろうか?

ということなんだけど

やっぱりカエルは可愛いのう

佇まいが猫と似ているもんな

前足を畳んで胸の下に仕舞ってるトコとか猫っぽい

どうか長生きして欲しいもの

ここいらでヘビなんか見た事ないし

いてもカナヘビやヤモリくらいしか居ないから

鳥さんだけには気をつけて

クローバーの森の中で平穏に暮らしてほしい。